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1504回目~ 暗く遮られた時代だった。



洩れた一燈 敵機を招く。




DSC_1605z.jpg






【洩れた一燈 敵機を招く。】 


これは 先の太平洋戦争の際 東部・中部・西部各防衛司令部の指導の下に作られた燈火管制啓発ポスターに書かれていた 一文です。


戦争が終結してから66年経ちました・・・・・。






大井川鐵道で今も活躍する オハ35149。


この車両は 真珠湾攻撃の前年の昭和15年 日本が暗黒の時代に突入しようとしていた時代に 鉄道省の小倉工場で製造されました。


ウインドヘッダーレス 張上げ屋根の試作車として大変貴重なこの車両・・・


実はもっと貴重な物が残っています。






この見慣れない緑のカーテン・・・。


外側は黒皮仕様 内側は緑色の布地になっていてご覧の通りカーテンを下ろせば光は完全に遮断されるばかりか外の景色が全く見えなくなります。


千頭に向かって右側(東側)のみ残っていて 反対側は一般的な布地のものに・・・


この緑のカーテンは 元日本国有鉄道副技師長 星晃氏の記述によると新造時から残る原型で 反対側のカーテンは戦後の物になるそうです。







燈火管制を含む防空法は 昭和12年 日中戦争開戦時に合わせて施行されたと言います。


夜間 爆撃目標となる工場や都市を空襲から守るため 国民の灯りの管理は徹底されました。


昭和19年より始まる本土空襲は 最初は明るい昼間での爆撃だったそうなのですが 昭和20年に入ると夜間の爆撃が始まり最初のうちは効果があったそうです。


ですが爆撃機にAPQ-13というレーダー装置が取り付けられたり 照明弾を使って爆撃する方法を採るようになって燈火管制の効果は薄れてしまいました。


市民へ向けて 防空法のもと内務省で製作された 「燈火管制」教育フイルムの動画があります。


前編 後編に別れています。  ご覧下さいませ。


















大井川鐵道









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  1. 2011/08/15(月) 08:34:58|
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