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        2012-08-13       1687回目~ ♪Knocking on Heaven's Door




疎雨孤舟。







DSC_9730b2.jpg














さっきから 降ったり止んだりの詰まらない雨が落ちていました。




眼下には美しい日本海の眺望が広がります。




なのに 雨は落ちた瞬間に蒸発し 辺りは不快な蒸し暑さに包まれてしまっているのです。




ここも いい風が吹けばさぞ涼しかろうと想像してるうち・・・ 




やがて とびうおの様な一艘の舟が 西へ向かって素っ跳んで行くのでした。














ここは戦国期以来 出雲と石見を結ぶ交通の要衝として関所が設けられていた島津屋と呼ばれる集落です。




出雲市多伎町田儀から田儀川を渡り 対向の難しい山手への細い道を我慢して車で進むと やがて思い出したように小さな集落が現れます。




そこは まるで私たちがイメージする『山陰』を象徴するような場所でした。




弁当忘れても傘忘れるな・・・




さっきからの忌々しい疎雨が そのイメージをこの地で 更に加速させているのでした。














DSC_9745ss2.jpg














細いカーブの先には 静かに大きく 日本海が広がっていました。




まさにウキウキしてしまう様なカーブで この道の先はいったいどこまで続くのだろうと思うのでした。









ここは 『島津屋口番所』という関所が置かれた場所でした。




そのカーブの根元に見える石碑には 江戸時代において 朝6時から夕6時までを通行時間として許されていたと説明されています。




このような『関』のある道には 必ず古からのロマンが存在します。




道は当時からこの狭さだったのだろうか・・・




どんな物流があったのだろうか・・・




どんな人物が通ったのであろうか・・・




もしかすると水戸黄門も通ったのかもしれない とか・・・(笑)









江戸時代においてここは 石見銀山の繁栄に伴い 出雲松平藩と天領の石見銀山領との関所とされ いわば徳川家同士が隣接する平和的な関所でありました。




しかし戦国時代では 出雲の尼子氏 石見の毛利氏という歴史好きにはたまらない戦国大名が対峙していた場所であり ここはずばり 油断のならない軍事的な要衝でもありました。




かつては 兵糧になる米・塩・みそ・酒などや 鉄などの軍需資源について移出禁止されていた島津屋の関番所・・・。




今では この下の海岸で採れた岩のりが 『島津屋海苔』として大田市の名産品となって平和な時代の今を楽しませてくれています。





































山陰線

















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